会場は、新宿2丁目のビルの地下にある小劇場「タイニイアリス」でした。
彼は僕と同い年で、大学で芝居を通じて知り合い、1978年春に劇団を立ち上げ、80年夏まで一緒に活動していました。
84年に劇団を解散した後も、自ら脚本・演出を手がけつつ「週刊漫画アクション」や「ブルータス」の演劇コラムを執筆し、ライター活動を開始します。
2003年からは「大駱駝鑑」の海外公演に同行し、その活動を各種媒体で紹介していました。
その年、耳下腺癌が発見、手術を受けますが、翌年に再発、2005年暮れに左目失明、2006年3月には右目も失明、そして12月に永眠しました。
「タイニイアリス」は、そんな彼が編集長を務めた小さな月刊紙を発行しているゆかりの場所です。
実を言うと、一緒に芝居をやっていた2年間の濃密な付き合い以降、彼とは年賀状のやり取り程度でしばらく疎遠になっていました。
1990年頃、「ブルータス」の一般記事の取材で再会しましたが、その後彼がしばらくイタリアに拠点を移したこともあり、年賀状のやり取りも途絶えてしまいました。
2006年春、共通の友人から彼の両目失明のニュースを聞くまで、彼の癌のことは全く知りませんでした。
夏から秋にかけて何度か自宅に見舞いに行きましたが、思いの外元気だった彼も、11月にはだいぶ弱っている印象を受けました。
彼は自分の病状を正確に把握していました(最近は本人に余命を含めて告知するそうです)が、最後まで回復を信じているように見えました。
偲ぶ会は、生前の彼の写真や映像を流し、友人たちのスピーチや演奏があり、事情を知らぬ人が見たら普通のパーティーか何かの打ち上げと間違えそうなくつろいだ雰囲気が保たれていました。
スクリーンに大写しになった写真の中に、僕が提供した大学時代の写真がありました。
劇団の旗上げ公演の千秋楽がはねた後、学生会館の前でみんなで撮った記念写真です。
そこには、2007年9月に亡くなった映画監督の佐藤 真の若い顔がありました。
この日のために編まれた遺稿集を受け取り、地下の劇場から地上に出たとき、藤原 伊織も昨年5月に亡くなったことを思い出しました。
藤原 伊織の「テロリストのパラソル 主人公、アル中バーテンダーの島村は、「厚生年金会館の近く、靖国通りを少し入ったところにある。」
バーの雇われマスターです。
「タイニイアリス」の周辺は小説に出てくる佇まいそのもので、あまり馴染みのない場所なのに親密な空気を感じたのは、この小説のおかげでしょう。
今朝、目覚めた後、藤原 伊織の未完の遺作「遊戯
井上 二郎の遺稿集は、これからゆっくり読もうと思います。
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