2011-01-16

「吉良仁吉親分逝く」

元外猫、2008年11月より我が家の内猫になった
吉良仁吉(きらのにきち)親分(17歳9ヶ月、オス、アカトラ、幼名;アカ)が
本日早朝永眠しました。








昨晩まではいつもと変わらぬ様子でアケちゃん(嫁)の足下で丸くなって寝ていましたが、
今朝そのまま冷たくなっていました。








昨年1月31日の大御台所(おおみだいどころ)アハメッタの葬儀をした
深大寺動物霊園に連絡し、
本日午後6時半からの立会い火葬にて荼毘に付しました。








おととし頃から右目が見えなくなっていたようで、
去年の夏頃からは左目の視力も失った様子で、
明暗だけ判別できているようでした。

秋頃からは耳もあまり聞こえていないようで、
大声で呼んでも耳を向けなくなりました。

トイレに行く時も体をあちこちにぶつけながら
記憶を頼りに移動しているように見えました。







2008年4月11日 仁吉親分(アカ)15歳、由五郎(シッポ)11歳、
大御台所アハメッタさま16歳(括弧内の名前と年齢は当時)
若い時に喧嘩で傷つけたアゴの噛み合わせが悪く、
歳とともにエサを食べるたびに苦しそうに口を大きく開けるようになっていました。

そんな状態になっても人を寄せ付けず、
捕まえようとすると激しく抵抗するので、
動物病院に連れて行くのはあきらめていました。







2007年3月2日 母屋のベランダにて 仁吉親分(アカ)14歳と桃太郎(メメ)9歳
1992年に我が家の縁の下に棲みついたノラ猫(オマルと命名)がコマルを産み、
翌年コマルが仁吉親分(アカ)を産みました。

この2頭のメス猫は警戒心が強く、決して捕まらなかったので不妊手術ができず、
その後1999年までに2頭合わせて少なくとも25頭の子猫を産みました。







時期不明(1999年頃?)左端が仁吉親分(アカ)
オマルとコマルが産んだ子たちはすべて不妊・去勢をし、
できる限り里子に出しましたが、
我が家の庭には多い時で10頭近くがエサをねだりに来ていました。







時期不明(1995年4月頃?)左から仁吉親分(アカ)、オマル(仁吉の祖母猫)、
タンゴ(オマルの子、生後3週目あたり)
そんな中、オスとしては最年長だった仁吉親分(アカ)は
2歳の頃から母猫や祖母猫が産んだ子猫たちの遊び相手になったり、
一族以外の猫がやってくると追い払ったりと、
ボス猫の風格を身につけて、若猫たちから慕われ続けてきました。

穏やかな性格でしたが、敵と見た相手には決して後ろを見せず、
そのぶん怪我も多かったのですが、
わたしたちに助けを求めることはありませんでした。

明日は仁吉親分の若い頃の画像を投稿します。



『ゲゲゲの女房』ブームもあって、休日ともなると多くの人で賑わう
深大寺ですが、日が暮れるとそば屋も明かりを消し、ひっそりと
していました。思えば、初代皇帝フィニ、大御台所アハメッタも
1月に亡くなっています。

2 件のコメント :

  1. 長らく楽しませてくれた仁吉殿のご冥福をお祈りいたします

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  2. オトさんの写真と文章から、仁吉親分は「親分」らしい頼もしさと面倒見の良さを感じていました。
    送ってくださった葉書の写真にも貫禄があってとってもよかった。
    オトさん、アケちゃんと暮らせて幸せだったと思います。

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