2011-01-17

仁吉親分(幼名アカ)若かりし頃

今日の投稿は、
昨日の朝に他界した吉良仁吉(きらのにきち)親分
(享年17歳9ヶ月、オス、アカトラ、幼名アカ)を偲び、
生前の画像をお届けします。







2006.12.26.母屋ベランダにてシッポ(由五郎)、メメ(桃太郎)とエサを待つ
2008年11月、3頭残った外猫を家に上げ、完全室内飼いにしました。

1992年以来、顔ぶれを入れ替えながら、
最大で10頭ほどが棲みついていた外猫たちは、
2000年を過ぎると少しずつ数が減っていきました。

1993年から99年まで、毎年春になるとポコポコ子猫を産んでいた
初代外猫オマルとその長女コマルが相次いで我が家から姿を消し、
子猫が増えなくなったためです。

この画像を撮った2006年頃には、毎日エサをねだりに来るのはすでに
シッポ(由五郎)、メメ(桃太郎)、アカ(仁吉親分)の3頭だけになっていました。







2006.1.14.隣の社員寮物置屋根で昼寝するシッポ(由五郎)とアカ(仁吉)
外猫たちの行動半径は、我が家を中心に約100メートル程度のようでした。
我が家以外でもエサをもらっていたようです。

お向かいのアパートのベランダやお隣の社員寮に
エサ皿が置いてあるのを見かけたものです。







2005.1.08.居間の掃き出し窓にて
毎朝7時頃と夕方5時頃になると、
どこからともなく3頭が揃い、
エサをもらえるまで辛抱強く待っていました。







2000.3.25 アカ(仁吉)6歳11ヶ月頃
かなり記憶が曖昧ですが、
この頃はまだ5、6頭がエサをもらいに来ていたと思います。

我が家に来るのは、
すべて初代オマルかその長女コマルが産んだ猫でした。

時折、どこかの飼い猫(捨て猫?)が庭にやって来て
一緒に食べることもありました。
どういう基準で選別していたのかわかりませんが、
アカ(仁吉)が体を張って追い払ってしまう猫もいました。

ところで、
この画像の頃を境に、我が家の近所で猫を見かけることが
少なくなり始めたような気がします。

それまでは当然のように飼い猫を外へ出していたのが
完全室内飼いに移行し始めていたのでしょう。

駅までの道すがら、
坂下のアパートの階段の黒猫親子、
1ブロック先の歯医者の駐車場にいた三毛猫、
高圧線の下でよく昼寝していたアカトラ、など、
馴染みの猫たちの姿を徐々に見かけなくなっていきました。







時期不明(1994年頃?)
まだ顔に幼さが残っているので、1歳になっていないかもしれません。

アカ(仁吉)は確か3頭で生まれてきたと記憶していますが、
1頭はすぐに死に、もう1頭も2歳まで生きず、
一緒に生まれた兄弟の中では唯一長生きした猫です。







時期不明(1993年初夏?)コマル(母猫;中央)、コハナ(弟;左)とミルクを飲む
この頃はまだ頭数も少なく(とは言っても6頭)、
猫にかかる費用もピーク時に比べればそれほどではありませんでした。

とはいえ、3週間に一度ホームセンターに車で買い出しに出かけ、
猫缶を箱買いするのが習慣になっていました。

子猫たちが生後10ヶ月を過ぎると、つかまえては不妊・去勢させていたので、
その費用も馬鹿になりませんでした。







2003.4.生後3週目頃
コマルが1歳になるかならないかで初めて産んだ子が
アカ(仁吉)とコハナでした。

初代外猫オマルは人の目の届かない縁の下で子猫を産み、
乳離れした頃に1頭ずつくわえて顔見せにきたものでしたが、
オマルの長女コマルは、毎年わたしたちが出産用に用意した
段ボールの中で産んでいました。







1993.4.生後3週目頃
2階のベランダの段ボールハウスで生まれた
アカ(仁吉)とコハナは、自力で地面に下りられるようになるまでは
ベランダと軒だけが世界のすべてでした。







1993.4生後3週~4週頃
自分で段ボールハウスの上によじ登れるようになった頃です。
まだ母猫コマルの目の届く範囲から離れませんでした。
いつも2頭一緒でコロコロじゃれ合っていたかと思うと、
いつの間にかコマルの懐に潜り込んで寝ていました。







1993.4.生後3週~4週頃
この頃は、何をするのもどこへ行くのもコハナと一緒。
この画像は確か、段ボールハウスのあったベランダの端から反対側の端まで、
初めて遠出をしたときのものです。







1993.4.生後3週目頃、コマル(母猫)と
母猫のコマルは初めてとは思えないほど愛情豊かに子育てをしていて、
誰かから教わったわけでもないのに、
とアケちゃん(嫁)と二人で感動していたのをよく覚えています。

コマル自身は人に対する警戒心を強く持っていましたが、
アカたちを産んだその日からわたしたちに子猫を見られても平気でした。

コマルの母オマルが、子猫が自分で歩けるようになるまで
決して人の目に触れさせないようにしていたのとは対照的でした。



我が家のカメラのデジタル化は1999年です。それ以前の画像はプリ
ントをスキャンしました。当時は、一眼レフでペットの写真ばかり撮って
いると変な目で見られたものですが、今やペットのブログや写真集が
当たり前になり、20年で世の中が随分変わったと思い知らされます。

2 件のコメント :

  1. GTTS@ゆきこ2011年1月18日 21:22

    人に歴史ありと言いますが、こうして拝見すると
    猫にも歴史ありですね。
    子猫の頃の仁吉くんの何てカワイイこと!
    多くの外猫家猫を分け隔てなく慈しんで来たオトサンとアケちゃんに心からの拍手を送ります。
    御二人のお陰で幸せに命を全うできた猫さん達もきっと喜んでいると思います!

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  2. >猫屋敷さん
    >高Gさん
    >GTTS@ゆきこさん

    コメントありがとうございます。
    仁吉親分もアハメッタさまも強烈な個性と気高さを持っていたので、
    いつも畏敬の念を抱かされていました。
    だから呼ぶ時もつい敬語を使ってしまいます。

    残っている4頭にその徳がいつか表れてくれることを願っています。

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